Osamu Miyazaki Blog
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第二話「「混迷期」」
1983年西日本ロードレース選手権最終戦に、訳も解らず初めてのロードレースデビューを果たして、もう頭の中はレース一色に染まっていた。
1983年西日本ロードレース選手権最終戦に、訳も解らず初めてのロードレースデビューを果たして、もう頭の中はレース一色に染まっていた。
次のシーズンへ向け、ライダーとして順調にステップアップしていく(勝手な・・)予定だったが、そう簡単にはいかない事情が出てきた。
1984年はレギュレーションが変更され、自分のバイクでエントリーできるプロダクション400ってクラスが消滅してしまった。
レースに出場するには、TT-FⅢクラス(現在のJSBより改造範囲の広いカテゴリー)しか無い。
とは言え、そんな改造するお金も技術もある訳が無い!
八方塞の中なのだが、当時の僕は「困ったな~」なんて当然思いもせず、せっせっとF-Ⅲにエントリーする準備を進めていた。
しかーし、当然のようにそんな甘い考えは通用するはずもなく、案の定適当に手を加えたエンジンは走るたびに焼きついたりのトラブルを繰り返した。
練習に行っても、1~2周で壊れておしまい・・を繰り返し、修復の手立ても見えずに金も底を着くまでには、そう時間がかからなかった・・・
ここまで来て、「こりゃ、困ったな~」と危機感を感じたのを覚えている。
ちょうどこの頃、18歳になり車の免許を取り立てで、車の運転にも興味が湧いてきていた。
当時、僕は地元下関市のオートバイ販売店に働いていた。 『古林モーターサイクル』の前の道路を同級生達が給料をはたいて買ったカッコいい車(今思えば、全然カッコ良くない…)で通り過ぎていくのを目にしていた。
僕には当然車など買うお金は無く、『古林モーターサイクル』の軽トラを乗り回していたのだが、そんなのじゃ満足出来なくなっていく。
まだ18歳になったばかりの健康な青年の頭の中がレース一色に染まる訳がない!
先輩の車を借りたり、知り合いの中古車屋の車を借りたりしながら、夜な夜な峠を走りに行き始めたのだが、そんな日は然程長くは続かなかった。
ある夜、友達を助手席に乗せ、いつものように借り物の車を自信満々で走らせてたら、フロントを滑らせてしまいそのままスピン!!!
イン側の崖にぶち当たり、跳ね返され、対向車線を突き抜けてガードレールを突き破り、崖(10mくらいあったかなぁ~)から落ちてThe end
悪運が強いのか、車は逆さまになり、ガソリンも漏れていたが僕も友達もかすり傷一つ無かった。
借り物車は廃車になり、楽しかったこんな日々は呆気なく終わりを告げた…。
そんなこんなで、金も無くてレースもまともに出来ない状態だった僕を助けてくれる1人の人物が現れた。
光が射してきた瞬間だった。
To be continued
To be continued
先日、TVでスペインのヘレスサーキットで行なわれたMotoGP第2戦を観た。
相変わらず、すごい数の観客だった。
ヨーロッパの中でも特にスペインはオートバイレースは人気が高く、毎レースたくさんのレースファンが集まる国だ。
レースウィークにサーキット近郊の街では、一晩中レースファン達のバイクのエンジン音が鳴り止まない。
この話はスペインじゃなかったけど、世界グランプリを走り出した初年度にヨーロッパでのレースで転倒した時の話。
再スタートを諦め歩き出したら、そのコーナーのコースサイドの観客席にいた観客達から、転倒した僕に向け拍手が沸き起こった。
最初は意味が分からず???
「なんで拍手なん?こっちは身も心も痛てーのに!」 と思っていたが、他国のサーキットでのレースで転倒した時も観客は同じように拍手をくれていた。
転倒したライダーに、悲鳴と絶句の日本とは違って、彼らは全力で走った結果に転倒したライダーには 「よく頑張ったな!」 って意味の拍手を送ってくる。
(拍手ついでに、ヘルメットくれ~!グローブくれよ~!と叫んでるヤツもいるけど・・)
レースをスポーツとして捉え観戦し、そのレースを走るライダーをプロフェッショナルとして見ている。
まだこの当時の自分は、ヨーロッパに来たばかりで分からなかったが、やっぱりヨーロッパではレースが一つの文化として存在していると強く感じた。
日本のレースもそんな日が来ると良いねぇ!
スペインヘレスサーキットと言えば強烈なの思い出したゾ!!!
1998年のヘレスでのレースの予選2回目だったかな?!
最終コーナー手前に、高速の右コーナーが2つ続くセッションがある。 そして、このコーナーを抜けると直ぐに、ピットロードへの入り口がある。
このコーナーは、250ccだと4速でスピードが160~180km/h位だと思うけど、この2つ目の右コーナーを最終コーナーに向けアクセル全開でスピードをのせ、このコーナーを脱出した。 と、その瞬間!!!
直前を走っていたスペイン人ライダーが突然走行ラインを変えて"急減速"
高速コーナー立ち上がりの減速は、さすがに成す術は無かった。
大激突! その先の最終コーナーまで250mはゆうに超えるほど、僕は吹っ飛ばされた。
そのライダーも転倒したが・・・ ケガは無かったようで、ピンピンして元気に謝りに来ていたけど、翌日の決勝レースは、危険行為でこのライダーは出場停止になっていた
大事なレース。 世界グランプリ参戦中。 明日は決勝
僕はというと・・・
●全身打撲
●手足の甲を骨折して、
次の日の決勝レースでは、ガンガンに痛み止めを打って泣きながら走ったちょっと痛い想い出・・・(苦笑)
今回は転倒の話題が多かったけど、そんなに転んでばかりじゃない・・よ
相変わらず、すごい数の観客だった。
ヨーロッパの中でも特にスペインはオートバイレースは人気が高く、毎レースたくさんのレースファンが集まる国だ。
レースウィークにサーキット近郊の街では、一晩中レースファン達のバイクのエンジン音が鳴り止まない。
この話はスペインじゃなかったけど、世界グランプリを走り出した初年度にヨーロッパでのレースで転倒した時の話。
再スタートを諦め歩き出したら、そのコーナーのコースサイドの観客席にいた観客達から、転倒した僕に向け拍手が沸き起こった。
最初は意味が分からず???
「なんで拍手なん?こっちは身も心も痛てーのに!」 と思っていたが、他国のサーキットでのレースで転倒した時も観客は同じように拍手をくれていた。
転倒したライダーに、悲鳴と絶句の日本とは違って、彼らは全力で走った結果に転倒したライダーには 「よく頑張ったな!」 って意味の拍手を送ってくる。
(拍手ついでに、ヘルメットくれ~!グローブくれよ~!と叫んでるヤツもいるけど・・)
レースをスポーツとして捉え観戦し、そのレースを走るライダーをプロフェッショナルとして見ている。
まだこの当時の自分は、ヨーロッパに来たばかりで分からなかったが、やっぱりヨーロッパではレースが一つの文化として存在していると強く感じた。
日本のレースもそんな日が来ると良いねぇ!
スペインヘレスサーキットと言えば強烈なの思い出したゾ!!!
1998年のヘレスでのレースの予選2回目だったかな?!
最終コーナー手前に、高速の右コーナーが2つ続くセッションがある。 そして、このコーナーを抜けると直ぐに、ピットロードへの入り口がある。
このコーナーは、250ccだと4速でスピードが160~180km/h位だと思うけど、この2つ目の右コーナーを最終コーナーに向けアクセル全開でスピードをのせ、このコーナーを脱出した。 と、その瞬間!!!
直前を走っていたスペイン人ライダーが突然走行ラインを変えて"急減速"
高速コーナー立ち上がりの減速は、さすがに成す術は無かった。
大激突! その先の最終コーナーまで250mはゆうに超えるほど、僕は吹っ飛ばされた。
そのライダーも転倒したが・・・ ケガは無かったようで、ピンピンして元気に謝りに来ていたけど、翌日の決勝レースは、危険行為でこのライダーは出場停止になっていた
大事なレース。 世界グランプリ参戦中。 明日は決勝
僕はというと・・・
●全身打撲
●手足の甲を骨折して、
次の日の決勝レースでは、ガンガンに痛み止めを打って泣きながら走ったちょっと痛い想い出・・・(苦笑)
今回は転倒の話題が多かったけど、そんなに転んでばかりじゃない・・よ
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Osamu Miyazaki
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自己紹介:
全日本ロードレースで活躍し、3シーズンに渡って世界最高峰の舞台を走った経験を持つ。2002年の世界選手権日本GPで優勝を果たし、世界でも屈指の実力を持つことを証明した、プロライダーの中のプロ。
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