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きくりん(菊池寛幸選手)が、彼のサポートメーカーのKUSHITANIにレーシングスーツの打ち合わせに来ていた。
マシーンや装備類の話をすると、125ccスペシャリストならではの視点ですごく興味深い。マシーンのセッティングはだいたい解るけど、装備品は排気量の大きなクラスだと気にならないような部分にもこだわりを持っている。
サポートメーカーと共に様々なトライ&エラーを繰り返し、納得のいく物だけを取り入れていて、着目点の違いはあるけど、自分とスタンスが似ている気はする。
ただ、あまりワガママ言うとメーカーさんも困るからほどほどにしといてね、きくりん・・・
夜も時間が遅くなっていたから、数日前にTV番組でも紹介されていた炭焼きレストラン『さわやか』で軽く?食事をした。
そこでもRaceの話題オンリーで、「あ~でもない」、「こ~でもない」と語った末に、最後は「やっぱりRaceは面白いなっ!」で決まり
ほんとにRaceバカです。このおっちゃん。
『さわやか』のハンバーグ牛100%でなかなかの美味しさです。 静岡県限定のレストランチェーンらしいので、遠州にお立ち寄りの際はご賞味くださ~い!
これまたきくりんは、身体を気遣い肉へのこだわりもピカイチだからきくりんは食べてなかった・・ 鳥雑炊注文。
日常のBLOGの中に時折混ぜ込みながら、レース人生をこれから連載していこうと思う。
今日はその第1弾!!! いつ掲載するかは・・・ (謎)
第一話 「「1983 出会い」」
1983年にバイクの免許を取って、当時750ccキラーと言われていたYAMAHAのRZを購入。
17歳の僕は公道と峠ばかりを走っていた。
その時は、僕自身サーキットにもレースにも興味があった訳じゃなく始まりは、先輩に「お前も走ってみろー」と半分無理矢理サーキットに連れて行かれた感じだった。
当然のようにヘルメット以外の装備品は何も持ってなくて全て先輩からの借り物。
身長183㎝もある先輩のレーシングスーツはそうとうダボダボで、僕はそのレーシングスーツに身を包み、免許を取得してから3ヶ月後にサーキットランを初体験する。
当時は今の様なレーシングスクールやセッティングデータなんて親切なものはない。
何も解らず走ってた。とにかくスピードのみでスロットルを開け走った感覚のみ。
コースインして直ぐ、スピードはともかく公道との車体の動きの違いに大きな違和感を感じた。 そしてサーキットランは、まるで自分が異次元の世界にいるようだった。
公道との違い、あまりの車体の違和感に「何か変だぞ、こりゃ転ぶかも・・」と感じた直感は的中し、案の定転倒して「あッ!」と言う間に数周で初めてのサーキットランは終了した・・・。
1983年と言えば、世界グランプリ500ccでケニー・ロバーツとフレディー・スペンサーがシーズンを通してすごいバトルを展開。この2人が全12戦中6勝づつを挙げ、僅か2ポイント差でスペンサーがチャンピオンを獲得した世界グランプリでも稀に見る面白いシーズンだったのを思い出す。 そして日本のバイクレースはまだこの頃全盛期を迎える前だった。
僕は初のサーキット走行から何故かその1ヵ月半後のレースにエントリー(されていた。)
数度の練習走行に通ううちに、自分が他のバイクを抜いていく爽快感や,ライディングを試行錯誤することでタイムアップできる充実感に夢中になって、初レースの1週間前には「誰にも負けねぇ」気になっていた。
すっかり調子に乗っていたそのレース1週間前の練習走行中に大転倒。
転倒後は病院のベッドで目覚めるまで記憶はない。
これが後にも先にも僕がバイクレースをしていて記憶がないまま搬送された唯一の転倒となった。
病院で気が付いた時にも、どれだけ時間が経っていたのか分からない・・・
目覚めた時には、転送先の盲腸の手術で有名な病院のベッドの上で頭蓋骨にヒビが入っていると言う説明を聞かされる。
まだ小僧だった僕は、ベッドの上でジッとしていられる訳も無く・・・・・・
目覚めたその日の夜だったか早朝に、病院をムリヤリ退院。 いや抜け出して家に帰った。
病院に居るはずの僕に、両親は「病院に戻れ!」 「レースには出るな!!」と当然の非難の雨霰だった。 母親は鬼の様な形相で。
でも親の言うこと聞く訳がない。 でも別にレーサーになろうなんても思ってなかった。レースに勝つ。 ただそれだけ。 闘争心からだけだった。
頭蓋骨にひびが入ったまま1週間後のレースに挑む。
ろくな知識も実力も無い素人が、負けることなんか全く思いもしないで病院から抜け出し挑んだ初レースは、予選3~4位からのスタート。ほんの少し出遅れた感はあったけどレース序盤に3番手に上がった。
「イケる!!」 直ぐに奴等に追いついて抜き去ってしまえると自信に満ち溢れていたが、そんな己の技量も分からない根拠の無い自信は数周後には無残に崩れ去ってしまう。
どれだけ攻めまくっても前との差は全然縮まらず、そのまま3位でゴール。
素人の表彰台獲得と言う結果にみんな喜んでくれていたけど、自分は嬉しいどころか「なんで負けてしまったんじゃーッ!!」と悔しくてしかたなかったことを憶えている。
今振り返ると、どこからあの自信過剰が生まれてきていたのか全く理解不能・・・
たまたまの巡り合わせだったけど、自分の性格にスッポリハマったものを見つけた。
もともとオフロードにはそれほど興味は無かったけど、トレーニングのつもりで8~9年前位から乗るようになった。
特に誰かから要領を教えてもらう訳でも無く、ひたすら我流で走り続けている。
ロードで速く走るために、結び付けられるヒントは無いかなぁ?と考えていて、ロードレースに生かせる感覚を見つけながら色々なライディングを試してみたりして、たまに転ぶ・・
自分が本当に必要だと感じる事しか継続していかないから、このオフロードを走る事は自分なりにメリットは感じているんだと思う。ロードで、バイクの突然の挙動を抑えきれない時でも、身体が勝手に反応して転倒を回避できたりすることも、ある。
でも、ロードでスピードに結び付けるにはそれなりに頭を使わないとダメみたい・・・。
やっぱり、バイクで走るのは理屈抜きで楽しいね!
普段はこんな事は感じないんだけど、昨日はこうして走っていて、「おぉ~、おもしれぇ~!」 「俺にはこれしか無いぜ~!!」なんて叫びながら汗をかいてた。(これは心の叫びです)
今は、今シーズンの体制報告は出来ないけど、いつでもすぐに100%以上の力を見せられるよう準備している。
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