Osamu Miyazaki Blog
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ST600の決勝前のGP125のレースを観ていたが、転倒車続出だった。
そのGP125のレースが終わると、よりいっそう雨が激しく強くなった。
「こりゃサバイバルレースになる!」と感じ、飯高くんに「今日は安全運転で行くからね~♪」と伝えた。
転倒は免れて、7~8番手で第2コーナーを立ち上がる。
激しい雨で川のようになっている路面は、やはりグリップしてくれない。
それでも1周目が終わるまでに6番手、2周目には4位までポジションを上げたんだけど、3位とはすでに結構差が付いていた。
「今日はサバイバル、安全運転♪安全運転♪」と、自分に言い聞かせ我慢しながらも、4周目辺りからコースの路面状況を把握出来たから少~しペースを上げる。
ペースを上げてみると、直ぐに3位に追い付いて、第4コーナーでインを刺して3位に上がった。
この時点でトップグループ2台との差は約7秒・・・
「う~~ん、何だか奴ら遠いけど今日はサバイバルレースのはずだから・・何が起こるか分かんないぞ・・・」
と、安全ペースを守りながら諦めずに単独走行を続ける。
しかし、自分の設定した安全マージンをとったペースではトップ2台との差は縮まらなかった。
単独でそれ以上ペースを上げるのはリスクが大きいと判断して、雨の量は減ってきていたけど、残り5周を切って4位との差も付いていたから、前を追うのを止めて完走することだけに徹して3位でチェッカーを受けた。
彼等をはじめ、スポンサーの皆さん、ファンの皆さんの応援、お手伝いのおかげで、ギリギリの活動内容で不安いっぱいだった今シーズンを精神的にも充実したシーズンに換えてくれている。
「みなさん、本当にありがとうございます!次は優勝して喜びを分かち合いたいと思います!!」
しかし・・・サバイバルレースの予想は全くハズ・・れた・・・
SUGOのレースが終わり、仮眠をしてそのまま鈴鹿へ移動した・・
普段は使わない北陸道ルートで鈴鹿に向かったが、途中ジャンクションを2度もスルーしてしまい、走行距離は1000キロを越え、12時間のロングドライブになってしまった・・・
約1年振りに走る鈴鹿サーキットだけど、自分には今回が最初で最後、1度きりのテストとなる。
鈴鹿サーキットはコースが長く周回数をこなしにくいから少しでもたくさん走りたいが、プライベートチームが多くのテスト時間を取れないのは仕方がない・・の・・か・・・?
その大切な午前の走行はまたしても雨。
雨はSUGOで散々走ったから、「もう雨は勘弁してくれ!」って感じなんだけど、鈴鹿のレースも雨かもしれないと自分に言い聞かせてコースイン!
4輪のレース直後のせいか、路面はグリップが悪くて、しかも雨も止んで少しずつ路面も乾き始めて、レインタイヤもドライタイヤも使い難いコンディションになったから午前の走行は途中で切り上げた。
午後の走行は、小雨がぱらついたりもしたが、ドライタイヤでテストをする事が出来た。
短時間のテストだったが、ドライコンディションでのセッティングの良い方向性が見つかって、来週のレースが楽しみになってきた!
今回のテストと来週のレースは、1999年~2004年にメカニックで一緒に戦ってきた『矢野』にも手伝ってもらう事になった。
風体は相変わらず怖いが、飯高くんと共にいい仕事をしてくれると思う
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Osamu Miyazaki
性別:
男性
自己紹介:
全日本ロードレースで活躍し、3シーズンに渡って世界最高峰の舞台を走った経験を持つ。2002年の世界選手権日本GPで優勝を果たし、世界でも屈指の実力を持つことを証明した、プロライダーの中のプロ。
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